意外な一日
数日前から喉が痛い。昨日から鼻水と息苦しさでどうにもならず、今日は病院へ行ってから出勤しようとしたが、気分が悪くなり引き返す羽目に。
次男は運動会で、妻も見物に行ったのだが、雨のため午前中で切り上げに。
長男は大学の授業が休講との知らせ。
・・・というわけで、誰もいないはずの平日の午後、期せずして全員が家に揃うことに。
ワタシは寝込んでもうろうとしていたが、隣の居間では、他の3人がTVで『名犬ラッシー』を見ながらやいのやいの言っていた。突っ込みどころの多い映画だったようだ。
やがて長男はバンドの練習に出かけ、次男がピアノを弾き始めたので、ワタシもごそごそ起きだしてきたところ。熱はない様だが、明日は仕事休めないので、晩飯食ったらさっさと寝ます。ああ鼻と喉が苦しい。
『少年の日の思い出』その後
今日、DVDが届きました。ちゃんとベオグラードから送られてきて、ちょっともう、それだけで感動です。
英語の字幕が入っていて、言うことなしです。タイトルは "OK, let's go", 映画の中の例のセリフは"Let's go on!" と訳されていました。
パルチザンだった主人公が、ドイツ兵捕虜をつれて、村の小学校の教師としてやってくる。子どもたちが捕虜に泥を投げたり、村の人民裁判の様子が出てきたり、というと人民解放万歳みたいになるのかと思うと、これがひねりにひねってある。無口なドイツ兵(これがショーペンハウエルという名前だ)へのまなざし、明らかに戦争で儲けた嫌われ者を生徒の祖父だというだけで助けたり(あのブタはそのお礼だった)、人違いでやってきたおばあちゃんの悲しい出来事、なんとも不思議な夜のアコーディオン(これはあとで悲しいエピソードにつながる)、興味深い結婚式のシーンで語られる原子爆弾、といった、淡淡としたエピソードのつながり。子どもの目で見た映像、子どもの心に刻んだ出来事として描いたから、オトナの事情を超えてありのままの人間の営みがつづられているように感じさせるのだろうか。
そして・・・その後のセルビアを思うと、この子どもたちがさらにどんな思いをすることになったのだろう、と胸が詰まる。
何はともあれ、『少年の日の思い出』再会を助けてくださったRATTAさん、映画館主・Fさん、有難うございました。
読書更新
久しぶりに読書更新。今も是非感想を書きたい読みかけが3冊ある。なんて読み終わって書いていないのもあるな。というわけでしばらくは音楽鑑賞よりも読書感想がメインになるかも。・・・でも今読んだら文章がぐちゃぐちゃだ・・・。忙しい時にあわててやるもんじゃないな。あとでおかしなところは書き直すかもしれません。
で、今(やっと!)読んでいるのが、ダンシモンズ『イリアム』。これ、夏休みの読書に用意してあったんだけど、夏の子どもの入院騒ぎ以来、仕事の混乱もあって、なんとなく後回しになっていた。とにかく複雑なつくりで分厚いんで、いつも読み始めは躓く。しかしそのうち入り込むとやめられなくなる。今がちょうどその段階だ。めちゃめちゃ面白くて読み終わりたくない。でも今回は大丈夫! 読むのが遅れてよかった、というのは続編の『オリュンポス』、しかもあの分厚さで上下二巻ものがもう出ているのさ!
少年の日の思い出
このタイトルで検索すると、ヘルマン・ヘッセが大量にかかる。
で、どういうことかというと、カート・ヴォネガット逝去について書いた時に、けいとさんから「これでいいのだ」のカテゴリを指摘していただいて、なるほど!と思ってふと思い出したのが、古い映画。若い帰還兵が田舎の学校にやってきて、村人たちと交流する、おそらく監督か脚本家の実際の体験に基づいた話だと思われ、東欧のどこかの国の作品だった。タイトルもうろ覚えで、試行錯誤しているうちに、やっと分かった。
その映画の中で、先生が使う言葉が、「さあ、次へいこう」だったような気がしている。苦しいことや悲しいことが起こると、先生はこの一言で子どもたちを励ますのである。
まあなんだかんだあるけど次いこ次・・・というとちょっとまあ、マジで話しているのに上役に言われたらヤだけどさ、考え方というか生き方としてはやっぱりコレだよな、と思う。私は映画のエピソードでは、学校で飼っていた豚を処分しなければならなくなって、子どもたちが豚のとさつに立ち会うのだが、その後でできたてゆでたてのソーセージに舌鼓を打つのを覚えている。このエピソードでもどこかで「さあ、次へいこう」というセリフが出てきたような気がする。コレが実話だとすれば、監督はこのにわか先生から、「さあ、次へいこう」というとても大切なことを学んだわけだ。
で、何とかこの映画の詳細を思い出そうと思って、ヘルマン・ヘッセを掻き分けているうちに、ここにたどり着いた。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Theater/5631/toybox/unknown/unknown85.html
管理人さんはワタシと同世代で、この映画の感想を書いてくれている。思わず、掲示板に感謝の書き込みをしてしまいました。NHKのテレビで、85年に放映されたことが分かった。ワタシはたぶんこの再放映を録画したはずなのだが、残念ながらそれはベータだったようで、テープは捨ててしまったようなのだ。これは今見ようと思っても、DVDやビデオは発売されなかったようで、かろうじて見つけたのが日比谷図書館の16ミリフィルムの貸し出しリストである。コレ、借りて見ようと思うと・・・映写講習を受けて団体登録をしてから・・・うーん難しいなあ。またどこかで見られないだろうか。
ところで、かの大哲学者、カントの最後の言葉が「これでよし」である。
わが人生に悔いなし、みたいな意味だと勝手に思い込んで、かっこいい、と思っていたが、「これでいいのだ」と翻訳されていたらと思うとおかしい。で、さらに調べてみると、食べ物を受け付けなくなっていたカントを心配した弟子が、薄めたワインを飲ませたら、Das ist gut! (これはうまい)といって、まもなく息を引き取った、という話らしい。
これはこれで、とてもいいのだ。
坂田クン
缶コーヒーのコマーシャル。
「今度配属された坂田クンだ」「坂口です」
坂口クンを上役が紹介して回るのだが、何度直しても坂田クン。
ついに最後には、自分で「・・・坂田です」と言ってしまう。
わかる。
小学校6年生の時に転校した。体育担当のM田先生、とにかくコワイ先生だったのだが、
私の名前を「山田」だと思い込んでしまった。
タダでさえコワイのに、ワタシは運動が超苦手。
「ヤマダ!どっち蹴ってるんだ!」
サッカーの授業で叱られるが、
内心どうしたら思ったところにボール蹴れるのか教えてくれよ、と思いつつ、
「ヤマダじゃありません、○○です!」とは言い返せない。
しかも「ヤマダ」と呼ばれて一瞬頭の中で「ヤマダ?ああ僕のことか」と翻訳するので、
反応が遅れる。それでさらに「ヤマダ!なにやってんだ!」とポカッとやられる。
結局まる一年、M田先生はワタシのことを「ヤマダ」と呼んでいたが、
さて成績はどうやってつけていたのだろうか・・・