ちょっとそれはないよ・・・

 ある新聞のコラムで、ある学者が書いている文章を読んで、唖然としてしまった。明治時代に、ある外国人が日本の親子関係をほめた文章を紹介する。しかし、と最近の調査で親を尊敬する中高生が、アメリカでは9割を超えるのに対して日本では4割前後しかいない、という資料を紹介する。で、問題はここからである。なぜ親子関係がおかしくなってしまったのか。それは戦後、アメリカ流の合理的育児法に頼ったからである、という。

 ちょっとちょっと! そのアメリカで親を尊敬する子どもが9割以上いる、と言ったばかりじゃないか!

 そのあとも明治時代のある学校で配布された親の心得みたいな文書を紹介して、古きよき時代のように積極的に親を教育すべし、というような展開になっている。一人の有名外国人の感想とか(所詮は個人の印象に過ぎない)、どう読まれたか、どういう必要があって配布されたかもわからない文書とか(多くの場合、何か問題があるから何とかせい、という意味で文書が出されることが多いのだが)を、統計資料のような客観的なデータの前後に置いて、一見、対等の説得力があるかのように見せかける展開も、わざとしているのだとしても気づかずにしているのだとしても、いずれにせよどうかとは思う。そもそもその統計資料の使い方からして、アメリカで9割以上親を尊敬しているのだから、たとえ理由の「ひとつ」とイクスキューズしているにせよ、アメリカ流保育が親を尊敬しない少なくとも主要な理由ではありえないわけで、もう・・・めちゃくちゃである。

 学者ですらこんな粗末なものを書き散らしているのだから、教育談義なんてのはよほど注意していないととんでもない泥沼にはまり込むという好例だが、一読してこれだけ突っ込みどころのあるこんな文章を載せる新聞社の見識はまず疑ってかからなければならないだろう。もしかすると、コラムの限られたスペースに押し込むために、本来は説得力のあるはずの内容であるにもかかわらず、書き手にまともな展開が出来なかったのかも知れないからである。だとすれば、担当者は力不足の書き手に対して、コレじゃ誤解されますよ、とチェックしてやるべきだったろう。まあこんなもんでも読者は誤魔化せるだろうと考えているとしたら舐められたものだが、最悪、担当者がこの文章で何もひっかからなかったとすると・・・。

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 ・・・なんてことを書いている暇はない。明日、じゃなかった今日持って行く資料がまだ出来ていないのだ。うーん徹夜か? そもそも休日になんでこんな・・・

 バッティアートの映画 "Musikanten" のDVDが届いた。もちろん、まだ見ていないが、チラ見した限りでは(見たのかい!)映像も音楽も大変美しいが、展開は・・・イッちゃってるみたいだ。英語字幕で見るから集中が必要。感想はまだ先になりますな。